山根商店の歴史アーカイブ vol.⑥

黙して自ら語らず。人との付合いを大切にした人物像 山根義照氏の貢献は未来へ紡ぐ

前回に引続き今回は山根義照氏の貢献を追っていきます。

故郷に対する熱い思いと恩返し

社長に就任する5年前の平成14年には、義照氏は先代と共に、郷里沖縄のために郷里の伊計小中学校へ野球道具を寄付した。
次いで、伊計島や与那城町へマイクロバスを寄付し、故郷の生活向上に一役買った。

その他、「島の人たちに役立ててほしい、村や島のためになれば」と育英資金原資などの寄付を続けた。

生前の義照氏はこう語っている。
「私の今があるには、故郷があってこそ。また根付いてこの仕事ができるのは地域のおかげ、故郷や地域に貢献することが自分のできること。」と・・・

組合を設立し、初代代表理事に選出~さらに法人化

2年後の平成16年には、堺市のリサイクル業界の発展と交流の場を設けるべく、堺リサイクル事業協同組合を発足させた。
同組合は、地元のリサイクル業界の問題提起や啓発、会員の相互交流やシンクタンクとなる環境づくりや行政との交流など幅広い活動を軸として
氏も自ら会員誘致に力を注いだ。甲斐もあってスクラップ業界や産廃業界、古紙業界からも60社もの会員が名を連ねた。
行政や業界に幅広く周知し、堺市のリサイクル業界の発展に寄与した。

堺市環境対策課での共同セミナーでの挨拶 業界の現状と対策について弁を振るう山根義照氏(平成30年5月レアショット)

平成28年には、同組合を法人化し、事業協同組合としてその後10年以渡り、代表理事を務めることになる。
組合においては、積極的にセミナーの壇上に立つなどしてリサイクルの業界の貢献に努めた。

故郷と創業者に思いを馳せて・・・・伊計島に恩返し・山根清義氏の胸像建立

平成24年、社長就任から4年後には、故郷を離れても伊計島へ寄せる思いは強く、

◎ 後輩育成のための寄付
◎ 母校の記念事業、
◎ 伊計区、旧与那城町、学校等の公共機関、伊計区老人会、婦人会への寄贈。
◎ 功績を称え創業者である山根清義氏胸像を建立した。

なんくるないさ~が 義照氏の放つ魔法のフレーズ

会社や業界が順調に成長していく過程には、大きな壁に何回もぶつかったと思えるが、一切公言することもなく、このフレーズで乗り越えてきたように思う。創業して70周年を終え、令和の時代に入ると令和3年には、3代目になる、山根卓也氏に社長を引き継ぎ、会長に就任する。
社長歴は13年あまり、昭和と平成の激動の時代を築き上げた義照氏の口癖は、

””なんくるないさ~””

この魔法のフレーズで現社長の卓也氏は壁にぶち当たった時にこの言葉で救われたという。このワンフレーズには、とてもあたたかさと重みがある
心配しないでいい なんとでもなる どんとかまえなさい なすがままでいいんだよ
をひとことで言い表すには、本人の功績の重みがあるからであると想う。

令和5年山根義照氏は、山根卓也氏にすべてを託して伝道師の役をおえることなる。

今回で山根義照氏の回は終了となります。次回は社長の山根卓也氏の回になります

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